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2015.2.6(金) | |||||||||||||||||
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コース:中書島駅~伏見港公園~大倉酒造~桃山御陵~宇治川~アルプラザ~宇治神社~塔ノ島~平等院~京阪JR/宇治駅 | |||||||||||||||||
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1月25日にふくらはぎの肉離れを起こして以来の長距離ウオーク。 不安なれどいつまでもジットしていてもしょうがないので恐る恐る参加した。 右足を庇いつつ歩く。 結果、なんとか無事に歩けた。 ヤレ、一安心。 |
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9:31 |
桃山時代の1594年(文禄3年)、豊臣秀吉は宇治川の治水および流路の大幅な変更を目的として港を設け交通の要衝となった。 三十石船が伏見と大坂の間を行き来した。 江戸時代には港の役割はさらに増し、幕府の伝馬所(問屋場)も置かれ、 参勤交代の大名が立ち寄るために本陣や大名屋敷も置かれていた。 幕末期には坂本龍馬が伏見港の船宿である寺田屋を常宿としていたのは有名である。 |
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10:22 10:25 |
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伏見城の外掘にあたる濠川から眺める酒蔵の風景は、酒どころ伏見の象徴として親しまれています。 江戸後期に建てられた大倉家本宅などが残る町屋の佇まいは見る人を飽きさせません。 一帯は京都市の「重要界わい景観整備地域」にも指定されました(1997年)。 土色に近い色彩のカラー舗装、遊歩道やレトロ調の電灯の設置、電柱の地中化など、景観に配慮した整備が施されています。 近隣には、坂本龍馬が逗留した寺田屋遺址や、鳥羽伏見の戦いで薩摩軍の陣地となった御香宮神社、 幕府軍が陣を敷いた伏見奉行所跡などが点在し、幕末の歴史舞台を彷彿とさせます。 |
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10:28 |
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10:35 |
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10:42 |
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10:49 |
文禄5年(1596年)正月のことである。黒田家の家臣、母里太兵衛は、 福島正則から「これを飲めば望みの品を与える」と大きな鉢に注いだ酒を勧められた。 太兵衛は、豊臣秀吉から正則に贈られたという由緒の、座上に掛けられた槍を指し、 「あれをいただけるなら」と酒を飲み干し、槍を自分のものにした。 正則は返却を訴えたが槍は返されなかった。 この名槍「日本号」は、「呑み取りの槍」とも称され、現在、福岡市博物館(福岡県福岡市)に収蔵されている。 ワタクシも次回からお酒を勧められたら必ずご褒美をねだりますので、関係者はよろしく・・・。 |
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境内の風景。
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11:09 |
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11:20 | 【伏見桃山陵】 伏見桃山陵は明治天皇が生前からこの土地(指月丘陵)を大変に気に入られていたとの事で御陵地となったとありました。 ちなみに明治天皇陵が造られた場所は天皇の生前に決められていて、あらかじめ用地の買取りも済んでいたらしい。 (ご参考・明治天皇陵⇒http://mannpomann.kt.fc2.com/120ninkou-124.htm#122)
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12:00 |
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13:30 |
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13:49 |
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14:00 |
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14:06 |
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14:07 |
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14:10 |
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14:30 ~ |
宇治橋そばの喫茶店?で「とりあえずビール」で5名の反省会。 天候に恵まれ、不安だったふくらはぎにも襲われずケッコーなウオークでした。ありがとう! |
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当日の写真のスライドショー | |||||||||||||||||
本日のドアtoドアの歩数:約 32,253 歩。 |