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2014.6.13(金) |
水都/大阪 「大川」と「淀川」W |
14Km 【遊悠】【参加者 159名】 |
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コース:大阪城公園駅~京橋口~毛馬閘門~淀川城北公園~城北運河~大川~JR桜ノ宮駅 |
集合駅までの交通費
470円 |
生駒駅 |
⇒
快速 |
鶴橋駅 |
⇒
環状線 |
大阪城公園駅 |
9:13 |
9:29 |
9:33 |
9:38 |
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9:45
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大阪城公園駅に着いたら受け付けが終わりかけていた。 ギリギリ、セーフ。
駅構内改札の上には司馬遼太郎の歌の陶板。
昭和58年の開業の時に祝って創ったらしい。

コース説明 |

司馬遼太郎の詩 |
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9:58 |
川田リーダーのコース説明についでウオーキングスタート。 |

スタート |
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10:17
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大阪城を左手に眺めながら公園内を歩く。
日照りはなく涼しい風が吹いており快適! |

天守閣遠望 |

お堀がきれい |
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10:30
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大阪城公園から川崎橋を渡り、大川の左堤を歩く。
豪邸を構えている人もある。 頑張っているね! |

固定資産税 0円 |
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10:47 |
日羅公は肥後国芦北国造の子で、敏達帝の御代、久しく百済国に住んで政治の要路にあり、非凡の知勇を内外に知られていた。 天皇は公の献策を用いて国勢の伸張をはかろうとせられ、公を召して帰国せしめられた。 公は御諮問に応えて民生外交に関し、種々献策したが、これを百済に不利として彼地より同伴してきたもののために暗殺せられることとなった。
詔により一旦難波の小郡西畔丘前に収葬せられたが、此地はその初葬の地であるといわれる。 崎に顕彰に当たられた日羅公薫続記念会が、更に戦災による荒廃を修復せられたことは、時節柄まことに当を得たことと思い、ここに事蹟を記してその記念とする。
昭和3年6月 大阪市長 中井 光次 書
とあるも、どうもむずかしててよく分からない。 |

日羅公の碑 |
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10:48
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日羅公之碑のすぐ隣には源八渡し跡。
渡しを東へ越えたところに「中野の梅林」があり、また両岸の堤は桜の名所として名高く、大そう賑わったという。
この付近に生まれた俳人与謝蕪村は梅を好み、この梅林の情景を句に残している。
“源八をわたりて梅の主かな”
渡しは明治40年に大阪市営となったが、昭和11年6月、源八橋の架橋により廃止され、橋にその名を残すのみとなった。
大川の左岸、何度か歩いてはいるがここには気がつかなかった。 |
 源八渡し跡 |
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11:08 |
大川の両岸は桜並木で、
その時期ならサイコーだろうが・・・
今の時期は緑のトンネル。
クチナシの花もいい香りがしていたよ。 |

桜並木 |

クチナシの花 |
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11:14
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前方に毛馬橋閘門が目に入る。
その手前は蕪村公園。
与謝蕪村はこのあたりの出身だとか・・・。
蕪村の歌が多くの石に刻まれている。 |

毛馬閘門 |

蕪村の歌碑 |
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11:43 |
淀川の河川敷を歩く。 |

河川敷を歩く |
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12:00 |
淀川の千人塚から下に降りると城北公園だ。
ここで昼食。
今回もわざわざ彦根からW林嬢が来てくれていた。中学校の同級生だ。 |

千人塚 |
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昼食後1時まで休憩。 その間、菖蒲園を見学散策(200円)。
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13:07 |
午後の部はスタートするなり雨が降ってきた。
時に激しく~~、時に優しく・・・ |

午後の部 |
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14:20 |
ゴールの桜ノ宮駅で解散。
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役員方の総括(?) |
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解散後は鶴橋駅そばの「珉珉」で反省会5名。 |
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生駒に着いて「シルバー」でN川氏と二人反省会。
彼はつい最近すばらしい出来事があった、とか・・・。
それは・・・朝日新聞 5/31版・・・⇒。
彼の写真が一等賞!! 次回はみんなでお祝いの カンパーイ を・・・ |

西川氏の写真!! |
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本日のドアtoドアの歩数:約 33,049 歩。 |