10:30 |
小泉神社 |
|
10:49 |
法起寺 。
コスモス畑を足元に見事な風景だなあ~~
 法起寺も世界遺産なり |
寺名は20世紀末頃までの文献では「ほっきじ」と読んでいたが、現在、寺側では「ほうきじ」を正式の読みとしている。
これは、法起寺が法隆寺とともに世界遺産に登録されるにあたり、「法」の読み方に一貫性が欲しい、という理由により、
高田良信法隆寺管長により、「ほうきじ」を正式とする、という判断がされたためである。
長年の親しみもあり、今でも「ほっきじ」と読む人は多い。
三重塔:建立時期については706年頃の完成とみなされている。高さ24メートルで、三重塔としては日本最古である。 |
|
11:09 |
三井の瓦窯跡

三井の瓦窯跡 |

三井の瓦窯跡 |
このあたり、何度も通っているのに知らなかった!
ありがとう! |
|
11:14 |
ここで、O屋氏が教えてくれた。 「奈良の3大ため池」。
①天理の白川池。 ②桜井の倉橋池 ③そしてここ、いかるが池。 説によれば④くろんど池も数えるとか・・・
|
|

いかるが池 |
|
11:20 |
三井の井戸も通りがかりにあったよ。
|
|
このあたりの地名が「三井」だそうで法輪寺のことを「三井寺」ともいうらしい。
|
11:27 |
三井の井戸を過ぎると法輪寺。
法輪寺:現存する三重塔は1975年の再建であるため、世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」には含まれていない。

法輪寺の三重塔 |
|
|
11:36 |
法輪寺から法隆寺への道中~~

斑鳩神社 |

スタッフ Oさん |
|
11:49 |
中宮寺~法隆寺への土塀。
|
11:54 |
法隆寺を休みもせずに通り過ぎる。
まあ、何度も来ているからいいとするか!

法隆寺五重塔 |
法隆寺のある斑鳩の地は、生駒山地の南端近くに位置し、大和川を通じて大和と河内とを結ぶ交通の要衝であった。
付近には藤ノ木古墳を始めとする多くの古墳や古墳時代の遺跡が存在し、この地が古くから一つの文化圏を形成していたことをうかがわせる。
このあたりは1993年頃世界遺産に登録されたらしい。
|
|
法隆寺から藤ノ木古墳への途中、「植栗」さん、そのお隣には「栗原」さん。
栗の木を植えたら栗の木の原っぱができたの?
「後」さんのそばの家で「後久」さん |
12:12 |
藤ノ木古墳で小休憩してから・・・
|
12:15
~
13:00 |
藤ノ木古墳から斑鳩中学校のある健民運動場で昼食。
|
13:00 |
午後、 つれづれの道を歩く。
「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くゝるとは 」
↑ は有名な在原業平の歌であるが・・・
常識とか世間知らずの八っつあんが物知り(?)のご隠居に
八っつあん |
「ご隠居、“千早ふる 神代も聞かず・・・”というのはどういうことです?」と尋ねました。 |
ご隠居 |
「昔、竜田川という相撲取りがおってな、千早と言う芸者に言い寄ったのさ。
千早はフッタね。(千早ふる) そこで千早の妹の神代に言い寄ったのだがやはり神代も言うことを聞かなかった(神代も聞かず)
竜田川はこの世で出世をあきらめて故郷に帰って豆腐屋を始めた。
時は流れて竜田川のお店の前に元芸者の千早が落ちぶれて通りがかった。 その豆腐屋の前でおからを所望したらくれなかった。
(からくれない)
世をはかなんだ千早は水にくぐって自殺した。(からくれないに水くぐる) |
八っつあん |
じゃあ、最後の“とは”とはなんですねん? |
ご隠居 |
「“とは”とはな、千早の本名だったのさ」 |
という落語がありますが、ご存知・・・?
|
|
この歌の解釈は普通、 不思議なことが多くあったという神の世の頃にだって聞いたことがない。
竜田川のきれいな紅葉が、流れる水を鮮やかな赤色の絞り染めにするなんて。」と解釈するんですが・・・。
在原さんもどう思っているでしょうねえ・・・。
|
14:10 |
大和川を進んで王寺駅で解散。 |
|

大和川 |

河川敷遊園地 |
|
14:30
~ |
王寺駅そばの吉野家で12名の反省会。
ワタクシがまだ現役の頃の吉野家ではアルコールは出してなかったよ。 |
17:00
~ |
生駒駅に着いて3名でまた反省会。
|